*コデックス公式サイト
福岡ダンスフリンジフェスティバル vol.3
http://d-codex.com/banana/20100121124723.html
2月7日、大博多ホールにて。
体調がイマイチだったのですけど、山香町(大分県)の木村秀和さんがメンバーに入ってる別府のチームも参加ですし、コデックスさんが頑張っておられるのを普段から間近に見ている(紺屋メンバー)などもあって、結果的には5時間超のフェスティバルを見てきました。
ま、3部はかなり眠ってしまったのですが…
18組のダンス公演が3部に別れて上演されます。
ソウルとの交流が活かされたプログラム、多彩な演出。ダンスの幅の広さや可能性を感じますけど、、、、、さすがに、コンテンポラリーダンスの見方がこなれてないと、後半、しんどくなってきます。
フリンジの企画自体は、非常に画期的ですし、地方でこの種のイベントが継続されるそれはとても大きなことです。このイベントが地域に与える影響、後進の指導、世界への足がかり、それらを考えると、とても評価できる、もっとたくさん支援してもらっていいプログラムだと思っています。
そこはそれとして、ここ数年コンテンポラリーダンスを見ていてずっと感じている疑問…改めてそれを感じたので、書き留めておきます。
コンテンポラリーダンス、といえば、なにかというと転がったり引きつったり、かと思えばバレエですかというワザが。
すみません、もうこれはお腹いっぱいです。
テーマも、男と女、とか、社会と個人、とか、生命の誕生とか、躍動感とか…うーん、前衛演劇ですかというようなのは、もうこれも正直、カンベンして、です。
もっとも、それはダンサー側もプロデュース側ももちろんわかっておられるとみえ、デジタルガジェットを入れたり、楽曲に意外性を持たせたり、いろんな工夫が見えたと思います。
いっぽうで、そうなればなるほど、じゃあダンスって、コンテンポラリーダンスってナニ?となる。演劇やエンタメ(テレビでのコント)との線引きは?
注目は、2部の2組目。坊主頭黒パンで、古いブギウギな歌謡曲(あまり知られていないタイプ)にひたすら動きだけで見せていた竹之下亮でした。爆笑つづきながら、しっかり観客の目の動きを計算していて、<ダンス>を楽しませてくれた。
暗転した終了時に「おわりっ」と叫ぶあたりにも、従来の演出を変えようとしている意図を感じて好感。
賞をもらったり、海外まで呼ばれてくるタイプってのは「基礎がしっかりしてる」「構成がしっかりしている」「完成度が高い」というあたりでしょう。(つまりみなが目指してる?)
しかしこういうのは、先に書いたように「テーマが見覚えがある」「バレエみたい」「巧さを見せつけられてるかんじ」がしてしまうのですよ、ダンス関係者でない立場としては。
かといって、ただのエンタメとかお祭りの踊りじゃない、ってことなんでしょうか。
アート業界の「ファインアート」、音楽の「クラシック」、そしてダンスだと「バレエ」になるんだろうか、欧州の基準がここでも強いんだろうかと思わせられたのでした。
上演中、ちょっと考えてた「コンテンポラリー」とか「前衛」とかって用語について、並べてみます。
○コンテンポラリー、現代、前衛、実験などのキーワードと、芸術ジャンルの相性
用語としてある程度の共通認識を得ているかどうか。
*芸術
現代芸術
前衛芸術
× 実験芸術
*ダンス、舞踏、舞踊
コンテンポラリーダンス
前衛舞踏
× 現代ダンス、現代舞踏
× 実験ダンス、実験舞踏
× 現代舞踊、実験舞踊
*アート、美術
コンテンポラリーアート
現代美術、現代アート
前衛美術、前衛アート
(モダンアート をこの意味で使うひとも)
× 実験アート、実験美術
*映画
実験映画
前衛映画
(ショート・フィルム がこの類に入ることも)
× 現代映画
△ 実験ビデオ
△ コンテンポラリーフィルム
*音楽
実験音楽
前衛音楽
現代音楽
△ コンテンポラリーミュージック?
*演劇
現代演劇
前衛演劇
△ 実験演劇
× コンテンポラリープレイ?
*思想
現代思想
△ 前衛思想
× 実験思想
× コンテンポラリーフィロソフィ?
漠然としてますが、使い方としては活動自体が70年代だと前衛、80年代に現代になって、90年代以降にメディアではコンテンポラリーってカンジになるのでしょうか?
背景に同時代の思想があるのかな?
新しい表現なんだよ、というときに 新しいカンムリを使いたくなる…それが生まれた時代の新しい言葉を使う。
いつのまにか、それが古くさく伝統になってしまう。
コンテンポラリーアートにも当てはまるよなあ、、、と思いつつ、見ていた、とまあ、そういうわけです。
ダンスという表現は まだ面白くなっていく、もっと知られて、楽しまれるべきだと思っています。
コンテンポラリー=現代、ではなくて、コンテンポラリーはそもそも同時代という意味のはず。いつも、そのときどきの時代や社会を反映する、既存の仕組みではないところへ向かうのだという意思表明だろうと思います。(非体制的なところがミソだったはずですが、そこをまた「伝統」にしたがる向きがあるのも事実で、危険なかんじ)
本記事は、2010年2月に、福岡で、ダンスイベントを見て感じたこと、ということで、書き留めておくことにします。
0 件のコメント:
コメントを投稿